4.48サイコシス

e0079475_1451832.jpg4.48Psychose(4.48Psychosis)
written by Sarah Kane Directed by Claude Régy
Cast : Isabelle Huppert and Gérard Watkins
Octobre 7, 2005, Freud Playhouse, UCLA


舞台そのものは、とてもよかったです。もっとも、観るのにこんなに集中力を要した舞台も久しぶりでした。(右写真:劇場入り口の掲示板。公演ポスターが貼ってありました)
感想は、ほんとにいろいろあるんですが、あまりのネタバレも憚られるので(いかにこれが再々演であるとはいえ)、役者と、ライティングと、テキストとのコンビネーションから生じた効果について、一つだけ、書きます。それでも、ネタバレを一切望まない方は、お読みにならないほうがいいかも?

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2時間の上演時間の間、一歩も動くことなくただ単調に台詞を口にするユペール。これが、今回のレジの演出プランの骨子と言えます。それに起因すると思うのですが、「わたしがどんな風に死んだか話してあげる」の台詞のあたりで、一瞬、ユペールの身体がカサカサとした幽霊のそれに見えました。彼女の身体を一本のスポットが正面から照らすと、おのずと、彼女の背面は暗くなるわけです。そして、背景の黒と、彼女の背面の黒が混ざり合って見えないんだなあ、とふと思ったあたりで、「わたしがどんなふうに死んだか・・・」の台詞が聞こえました。そのとき、舞台に、身体が骸骨みたいに細くて、頭が異常に肥大化した、生きているとは思えない存在、がいるように感じられました。もちろん、よくみれば背中もほんとうにまっくらではないし、頭が急に大きくなったはずもないのですが、目に映る映像よりも、頭の中で再構成されたイメージのほうが、より「現実」に思える瞬間というのを、ほんの一瞬だけでもまざまざと感じて、ぞーっとなりました。ただ、席にもよるのかもしれない。わたしの席は、わりに端よりだったから・・・。正面から見ていた人には、また違う感じ方があったことでしょう。でも、ライトが、上手、正面、下手にそれぞれあって、常にそのうちの一本からだけ光が発せらるようになっていたから、たぶん、ユペールの背面が暗転してみえる効果は、その箇所は席次によって違うとはいえ、どの席からも実感できたか可能性もあるな・・・。
今振り返ってみると、あのときにわたしの頭にいやおうなしに浮かんできたイメージは、すごく入り込んで見た能の上演を後で思い出したときに、頭に浮かんでくる能役者のイメージと、ちょっと似てるかもしれない。そういえば、最後のカーテンコールのときの彼女の「普通の」歩き方や姿勢を見てようやく気がついたことですけど、上演時間2時間の間、ユペールは、一歩も動かなかっただけでなく、たまに肘から先の手を動かす以外は上体のどこも動かさずに、独特の姿勢をずっとキープしていました。腹筋にしっかり力を入れて、下腹部をほんの若干前に押し出し、肩はほんの少々だけ前方に・・・うーん言葉で説明できないけど・・・。あの姿勢も、演出プランの一環として欠かせないものなのでしょう。彼女の引き締まった身体が、あの姿勢をキープしていたことと、あの一瞬のゾーッとした感覚の生成というのは、きっとすごくかかわりがあったと思います。
よく、漢字を穴が開くほど見つめていると、その漢字が本来持っている意味がどこかに消えうせて、そのイデオグラムが線を縦横にいくつも引いた絵みたいに見える瞬間がありますね。それと同じように、微動だにしない人間の身体というのも、それをじっと直視することによって、その身体に日常生活においては付与されていると考えられている社会性-たとえば、ユペールという女優の抱えるさまざまな物語とか、サラ・ケインという作家の“個”とか-が、ある瞬間から見えなくなって、余計な付属物を取り払われた、まっさらの身体という入れ物に、一気に別の物語が流れ込む、なんてこともあるのだろうと。
今でも、頭の中の印画紙に2時間かけて焼き付けられた、ユペールの仁王立ちの残像が見える気がして、妙な気分です。
LAタイムスに、関連記事が載っています。
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by la37_losangeles | 2005-10-09 12:39 | パフォーミング・アーツ


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