ブラディ・メス

Bloody Mess
Performed by Forced Entertainment
Director : Tim Etchells
December 2, 2005, Freud Playhouse, UCLA
NORTH AMERICAN PREMIERE

e0079475_5544057.jpgこの写真、なんとなく幻想的だけど、いったい何?UCLAの構内でこの写真の入ったポスターを見かけるたび、不思議に思っていました。手前の赤い服きたピエロっぽい、でもなんかピエロにしては表情がまじめそうなおじさんはともかく、向かって左のゴリラっぽいのはいったいなんだろうなあ?などと。そして、昨日ある舞台を見ていて、この写真が、まさしくその舞台から撮られた舞台写真だってことに気がつきました。ポスターから感じたイメージが、実際の舞台のイメージを「裏切って」いるのが、ちょっと面白かったです。
というわけで、昨日の夜、2ヶ月ぶりくらいで、演劇系の舞台を見てきました。場所は、UCLA構内のフロイド・プレイハウス。イギリスの、Forced Entertainmentっていう団体の、「ブラディ・メス」って作品です。1984年に旗揚げされて以来、映像やらもろもろの舞台効果やらハプニング系のドッキリやらをごちゃまぜにしたパフォーマンスを展開しているそうで、この作品は、2004年が初演とのこと。おどろおどろしいタイトルだけど、けっこう、楽しめたかな。以下、感想です。なお、ネタバレ&シモネタを含みます。あと、例によってなが~いですごめんなさい。それでもいいという方、Moreからどうぞ♪



まずもって気に入ったのが、この団体が、とにかく「演劇」にできることを画策する、っていうポリシーをもっているという点でした。本家のHPを見ると、Forced Entertainment make work which is engaging, challenging and surprising, and explores the possibilities of what theatre might be とあります。政治的なポリシーもいろいろと持ってそうな団体で、それらについては私はコメントできないので触れないけど、今どき、演劇の可能性なんてことを旗印にしているって点で、すでに一票投じたくなります。仮にそれが何らかの戦略的ポーズに過ぎないとしても。なので、昨日の舞台も、スモーク焚いたり、役者が水をかぶったり、涎をたらしたり、男性がどーんと全裸になったりとか、まあいろいろとありましたが、けして演劇っていう表現形態を否定しない、という信念はきっちり守られていて、古めのわたしにはちょっと嬉しい。
以下、ピンポイントで2つ、感想を。

1)上の写真のゴリラちゃんですが、実は、この中には、デミ・ムーアばりの、すごく綺麗な女性が入っているのです。舞台の冒頭のところで、全出演者(10人くらいだったかな)が舞台の前のほうに横並びで客席に向かって座って、これから上演する作品の中で自分を観客にどのように見てほしいか、ということを自己紹介がてらマイクに向かって喋るっていう場面があるんですが、そのときのこのデミ・ムーアさんのコメントは、「わたしが、今日出てる役者の中で一番美人だとは言わないけど、でも、皆さんタブン、私と一番ヤリタイっていうのは確かかと思うの」というものでした。そして、その場面の後全員が持ち場について、それぞれに衣裳着替えたりとかしてるときに、彼女はゴリラの着ぐるみに着がえるわけです。「わたしの手が、皆さんの体に触れる、私の手が・・・」「わたしの目が、あなたの目を見る、わたしの目が・・・」とかなんとかセクシャルな台詞を言いつつ・・・。着ぐるみを身につけ終わった瞬間彼女は言葉を失うんだけど、これだけ「女」の部分の説明台詞を引っ張られると、着ぐるみのゴリラのなかはあの綺麗な女性なんだ、という意識を、観客は常にもたざるを得なくなる・・・。そうすると、いわゆる、キモチワルイ怪獣としてのゴリラを見るときの気持ちの持ち方と、綺麗な女性を見るときの気持ちの持ち方が、観客の頭の中で、まざりあって訳わかんなくなってくる・・・。例えば、音楽にあわせてアフォっぽいステップを踏むこの人物、中に誰が入っているか知らなければ、そのステップ自体は笑いを誘うような感じのものなんだけど、中に居る人の顔を見て声を聞いちゃっているだけに、このアフォっぽい踊りをあの綺麗な女性がやっているっていう意識が、笑いがこみ上げる反射神経のスピードよりも0,1秒遅いスピードで追いかけてきて、そうなるとなんか普通にげらげら笑えずに、なんとなく、喜怒哀楽をどこにもっていけばいいのかよくわかんなくなる・・・。そのサブリミナル効果が、この人物に関しては、すごく面白いと思いました。

2)男の人2人が、全裸になります。幅50センチはあろうかという大きな☆型の銀紙でコーティングされたボードを手に持って前を隠しているので、あんまり見えないけど。でも、音楽にあわせて踊るときに、たまに二人でそのボードをホイッと1秒くらい上に上げる振りが混じってることがあって・・・。この1秒くらいっていうのが、タブン微妙に計算されているような気がしましたね。それ以上長いと、視線を逸らさざるを得ないけど、1秒くらいだと、けっこう、直視できちゃう。でも、その画像は脳裏に残っても、その現実感が残るほどの長い時間でもないから、「罪悪感」を感じるにも至らない・・・。ところが。音楽が止んで、いろいろあったあとで、この二人の掛け合いの場面になるんですけどね。そこで、客席も含めた全員に出される提案が、「この舞台の記念に、皆さんで、5分間の沈黙っていうのを、やってみましょう」というもの。そこで一瞬みんなぎょっとなるわけです(←ってわたしだけ?もしかして?)。「だって、その5分間のはじまりのカウントダウンのあと、はい、はじめ、ってなった瞬間、もしかしてもしかして、あの大きな☆を二人がいちにのさんでほい!って上に上げたらどうしよ?わたしら5分間それを直視してないといけないわけ?ひとたび沈黙がスタートしちゃったら、とにかく沈黙してないといけないんだから、やめてくれさえも言えなくなっちゃうわけでしょ?」などと、恐怖なのか好奇心なのか快感なのか不快感なのかわからない奇妙ーな気持ちに襲われてしまうのです。結局、その5分間が始まっても、周囲の変なチャチャが入って、シーンとした5分間というのはけして実現されないし、☆が突如とり払われるなんてこともないんですが。それにしても、全裸の人が普通に喋る様子って、ほんと、変。心ならずも、一字一句に神経が集中しちゃいます。そういえば、この場面は、ほかの場面に比べて、英語が圧倒的に聞き取りやすかったなあ。裸パワーおそるべし。

1)も2)も、日常生活の中で植えつけられた何か思い込みみたいなものを、芝居の枠組みの中で洗い流されたり捻じ曲げられたりして、物事の価値基準や判断基準を混乱させる効果だったと思います。対象物が、日常生活のなかではすごく権威的とされるものだったりする場合は、こういう効果をうまく使われると、なんかこう溜飲が下がる感じがしますね。発想の転換とか、角度を違えて物事を見るっていうことって、かなり痛みの伴うことだったりするから普段暮らしてる中ではそうそうできないけれど、「これはあくまでお芝居だ」っていう枠を最初に提示してもらっているおかげで、かなりのアグレッシブだったりスリリングだったりする演出も、わりに冷静に面白く観察ができて、その結果、芝居がはねたあとで、なんとなく、いろいろなしがらみに凝り固まった脳みそが、すこおしでもやわらかくなったような気がしたのが、印象的でした。
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by la37_losangeles | 2005-12-04 05:53 | パフォーミング・アーツ


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