「約束のカケラ」-w-inds.- ジャケ写にまつわる戯言

約束のカケラ
w-inds. / ポニーキャニオン

「約束のカケラ」が発売になってはやくも2週間が経過。わたしはダウンロードで音源を手に入れたので、ジャケットを実際に間近で見たことはまだなく、ネット上で公開されている画質のよくないジャケ写を眺めただけなのですけれども。
最初見たとき、「綺麗なジャケットだなあ~」「スタッフさん大変だっただろうなあ」「コンピュータ加工に頼らない、ロケハンと労力の勝負、いまどき頑張るなあ~」などと感動して、このブログにもそんな感想を載せたりとかしてました。今でも、手のかかったお仕事の、綺麗なジャケット、という気持ちは変わらないんだけれど、だんだんと時間が経ってくると、なんとなく、別の次元で、ちょっと考えさせられることが、ありまして(←ってかへんな妄想です)以下、興味のある方だけ、Moreからどうぞ。



えっと、繰り返しますが、わたしは、このジャケは、好きです。ほんと、近くからゆっくり見る日を楽しみにしています。ただちょっと思いついたのは、東京タワー、キャンドル、チョコレート色の二人に、赤ズボンの一人、これらのコンビネーションっていうのは、たぶん、想像の世界の中でのほうが実はもっと美しいのだろうな、ということです。東京タワーの夜景、うん、美しい。キャンドルの炎、うん、あかあかと、温かくて、やさしい。東京タワーとキャンドルのコンビ、うん、東京タワーを大きなキャンドルに見立てたら、いいだろな…。などなど…。そういう一連「組み合わせ」作業の後に、たぶん、このジャケットのコンセプトができあがったのかな、などと勝手に「妄想」してみるとき、ふとわたしは、すごーく綺麗なものを夢で見た後で、それを実際にじゃあ表現して人に伝えてみようと思ったときに、どうしてもあの「夢の中の美しさ」を人に伝えられないもどかしさ、を思い起こしてみたりするのです…。どこで見聞きしたかぜんぜん思い出せないし、もしかして記憶違いかもしれないけど、人間が夢を見るメカニズムについて、たしかこんなことを聞いたことがあります。夢を見ている状態っていうのは、例えて言えば、いろいろな画像や映像が、頭の中をふわふわと、まるで水面に浮かぶ色とりどりの紙切れみたいに揺れ動いている状態みたいなもので、その「水面」の下に、「意識」が眠っていて、その「意識」が目覚めるときつまり夢からさめるときに、「水面」に浮遊している色とりどりの紙切れが「意識」の外側にいっぱい貼り付いてきて、その張り付いたたくさんの紙切れのパッチワーク的な状態が、イコール「夢についての記憶」になるんだ、とか…。(ごめんなさい、うろ覚えだし、いろいろ細部でおかしいかもしれませんが) タブンだけど、「水面にふわふわと浮かぶ色とりどりの紙切れ」が持つ「動」の状態と、水浸しの紙切れがくたーっ&ベターっいっぱいくっついてくる「静」の状態は、どうしてもイコールにはならないのだろうな…。
そして、本当は「動」の部分を伝えたいのに、「静」の状態しか記憶に残っていないから、どんなに一生懸命頑張っても、なんだかちっとも本質的なところが伝わらない気がするもどかしさ…。

ジャケ写に話を戻すと、東京タワーとキャンドルの対比とか、三人の「カガヤキ」をキャンドルや東京タワーに見立てるとか、そういう「分析」ができる楽しさについては、マルと思いました。作り込まれたものなればこそと思います。でもそれは、そういう言葉による分析を介して初めて、三人の「カガヤキ」のイメージが伝わってくる、ということでもあるのかな、と。だから欲を言っちゃうと、ジャケ写はせっかくイメージで勝負できる場なんだし、もっともっと、ガツンとイメージで圧倒されたい♪って気持ちですね。
「約束のカケラ」のジャケ写に端を発した、「超」妄想、でした。ちゃん、ちゃん。
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by la37_losangeles | 2005-12-09 02:53 | w-inds.


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