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「誰かが見ている」という感覚

ここのところ、ちょっと必要があって、「誰かが見ている」という、一種の宗教感覚みたいなもののことを考え続けています。「誰かが見ている」っていう考え方は、どこから来たのかなあ、と。「~~さんに怒られるといけないから」とか「人に迷惑かけたらいけないから」という道徳観念に含まれる一種の偏狭さとは、なにかこう一線を画したところにある、「誰かが見ている」っていう感覚・・・。大きなものも、小さなものも、些細なことも、くだらないことも、ホントのことも、嘘っぱちでさえも、それは「誰かが見ている」んだ、っていう感覚。これって、日本的っていうか、アジア的なもので、いわゆる西洋的なものではないんじゃないかなと思っていて、この感覚はいったい、どこにルーツがあるのかな、と。
今月に入ってからわりによく覗かせていただいているある風ファンのかたのブログがあるのですが、そこの昨日だかの記事にちょっと興味をひかれました。その方が、「「スターの資質」について触れられていた新聞記事のなかに、「お金など要らぬという風情で働きなさい。傷ついたことなどないかのように愛しなさい。誰にも見られていないかのように踊りなさい」っていう文章があった」、と書いていらしたのですけどね。
「誰にも見られていないかのように踊りなさい」っていうの、たぶん、この「誰かが見ている」っていう感覚と、実は表裏一体なのかなと。誰にも見られていないから、自分の身体の隅々までを、つまらない社会性のくびきから解き放つ、っていうのは、多分、自分「ひとり」になるってことなのかな、とか。そして、その自分っていうのは、多分自然が作った芸術品みたいなもので、それはなにか大いなるもののめぐり合わせで奇跡のようにこの世にあるもの、なんじゃないかな、とかね。
あと、関係ないかもしれないけど、「仏が見てござる」って考え方のお坊さんも、お亡くなりになったけど、いたみたいですな。
なんか、すみません、今いかにわたしがサブマリンかを証明するようなヘンな記事書いちゃった。ヘンだなと思った方、深く考えずスルーお願いします~

※ちなみに、上記太字にしたところが、わたしの現在の一番の懸案なのですが、なにか「これ読めば?」みたいな情報をお持ちの方、コメントくださるか、またはエキサイトのメアドまでメールいただければ大変嬉しいです。あ、わたしの他の個人メアド知ってる方は、そっちに・・・
by la37_losangeles | 2006-01-19 13:34 | w-inds.


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